COMMEARTHでは一人ひとりの心と体の健康が、やがて地球の健康につながると考えています。そこで「素敵な人のサステナライフ」をテーマに、編集部が素敵だと感じる方がライフスタイルに取り入れている「心と体の健康につながるサステナブルなモノ・コト」を聞く企画をスタート。初回はアーティストやファッションブランドのトータルプロデューサーとして活動しながら、長野県で農ライフを実践している武藤千春さんに話を伺いました。
新しい自分に出会えた二拠点生活
今回は武藤さんが大切にしている「心と体の健康につながるサステナブルなモノ・コト」を3つ伺えたらと思います。まずは1つ目について教えてください。
テーマをいただいてまず思い浮かんだのが、東京と長野での二拠点生活です。私自身は地元が東京の五反田で、あまり外で遊ぶことは少なく、ほとんど自然の中で過ごす時間のないまま大人になりました。そのためか同世代の友達が夏休みに実家に帰る話を聞くと、すごく羨ましかったのをよく覚えています。自然の中で暮らすことへの憧れが小さい頃から人一倍強かったのかもしれません。
16歳からアーティストとしてメディアに出る仕事をしていたので、東京にいる方が何かと都合がいいんですよね。老後に自然豊かな地域で暮らせたらと思っても、何十年も先の話。先は長いなあと感じていたときに、おばあちゃんが「自分のご先祖様がいる、縁のある長野に住みたい」って話していて。おばあちゃん1人だけで家探しをするのが心配だったので、私も一緒に長野で家を探すことにしたんです。
最終的に長野県小諸市にいい場所があって何度か内見に付き添っているうちに、東京から新幹線で70分くらいだし、自然の中での暮らしと都会での仕事、どちらもちょうどいいバランスを取れるとても素敵な場所じゃんと感じて。おばあちゃんが暮らす家に私も拠点を構えることにしたんです。それからは週の半分を東京、もう半分を長野で過ごす二拠点生活がスタートしました。
二拠点生活のどんなところがサステナブルだと感じますか?
やっぱり自然と都会での暮らし、両方のいいとこ取りができることですね。そもそもサステナブルって地球環境のことを想起しがちですが、自分の心が健康でいられることや自分が続けられることも大事だと思うんです。自分が無理なく続けられる上で、みんなが続けられて、社会が続けられ、結果的に地球環境もサステナブルになる。
以前は移住に対して「仕事を辞めて環境も変わる」といったすごく覚悟のいるイメージがありましたが、今はインターネットがあればできる仕事も多いし、自分の働き方を柔軟にデザインできるようになってきています。二拠点生活は自分にとって居心地のいい環境を、無理なく維持できている点でサステナブルだなと感じています。
二拠点生活を始めてから気持ちに変化はありましたか。
ありましたね。東京にだけ住んでいたときは仕事の相談や友達からの誘いがあると、すぐ予定を詰め込んでいました。人と会って刺激を受けて、新しいことが生まれる楽しさがあったんですけど、一方で自分の心が何を求めているかなど、ゆっくり自分に寄り添う時間は持てていなかったんです。
でも長野にいると東京からの誘いは「今から行きます」とはなかなか言えないですよね。その結果自分のための時間が増えて、日常をデザインできるようになったのは大きな変化でした。
自分のための時間が増えた結果、どんなことに気づきましたか?
私の場合は仕事柄どうしても「これをやった方が周りから良い評価がもらえそう」といった、他人のものさしが自然と入る傾向があったんです。もちろん人によると思いますが、二拠点生活を始めてからは自分のものさしで「やりたい・やりたくない」を、ある意味ちょっとわがままに考えられるようになりました。自分のための時間があることで、新しい自分の発見に繋がっている感覚がありますね。
暮らしを彩ってくれる農ライフ
続いて2つ目は。
2つ目は長野で暮らし始めてから出会った「農ライフ」ですね。長野の町を歩いていると、いろんな作物を育てている畑があることに気づきます。畑で作業をしている農家さんに話を聞いてみると、同じ野菜を育てていても人それぞれやり方や考え方が違っておもしろかったんです。農家さんの話を楽しく聞いているうちに、自然と農家さんとのつながりが増えていきました。
それから自分でも野菜の作り方を調べていくうちに、いつの間にか無農薬の野菜ばかり食べるようになったり、野菜の作り方一つとっても、人を通じて話を聞く中で面白いなと感じるようになったりして。地球や自分の体にとって優しいことに、自然と考えが及ぶようになりました。
これは当時の私の勝手な偏見でしたが、なんとなく都会は刺激的で面白い人がたくさんいて、地方はちょっとのんびりしていて、おおらかな人が多い印象だったんです。でも全然そんなことはなくて、場所に関係なく自分で面白いことを追求している人がたくさんいるんだなと。
農家さんとつながったことで、より食が身近になったんですね。
東京では働くためにご飯を食べ、家には帰って寝るだけといった感じで、働くことが生活の中心でした。食事は後回しで、お腹が満たされれば何でもいいやと。だから毎日デリバリーサービスでファーストフードを頼んでいましたし、家で自炊したり野菜を率先して食べるなんて発想はほとんどありませんでした。
でも長野のスーパーマーケットや直売所には地元の野菜はもちろん、土がついたままの朝採れ野菜や全然知らない品種の野菜がたくさんあって。そうした野菜を食べてみると、野菜ってこんなに美味しかったんだって感動したんです。農ライフを始めたことで、日々の暮らしがとても豊かになりましたね。
自然の変化に目を向けさせてくれる写真撮影
最後の3つ目は何でしょうか。
3つ目は結構悩んだんですが、写真を撮ることですね。以前は旅行中に撮ることがほとんどだったんですが、長野に来てからは日常的に撮っています。カメラ片手に歩くことで、普段歩きながら見過ごしていた景色に自然と意識が向くようになりました。
すると今日の山は雪がたくさん積もっているなとか、黄色かった葉っぱが赤くなってきたなとか、季節の変化を感じやすくなりました。他にもこちらの田んぼは稲刈りが終わってお米を乾燥させているけど、あちらの田んぼではまだ稲が植えてある状態だなとか、同じ地域でもたくさんの違いや変化があることに気づいたんです。今まで見過ごしてきたことに気づけるようになってきた感覚がすごくありますね。
最近撮影したお気に入りの写真はありますか?
最近いいなと思って撮ったのはお米の稲架(はさ)掛け。畑に木の杭を差して組み上げたところでお米を自然乾燥させている、産地ならではの光景ですね。単純に景色としても美しいですし、背景にある知恵も素敵だなと感じていて。
農家さんによっては機械で乾燥させるんですが、機械だとお米が傷ついたり規格外のものが出てきて、商品として出せないものが出てきちゃうんですよね。稲架掛けの場合は人の手で稲をくくって木に乗せ、乾燥させて脱穀と大変な作業をやる必要があります。でもちゃんと意味があって、掛けるとき稲を逆さにするんですが、根本にあった水分が稲穂の先まで降りてくるので、機械で乾燥させるより美味しくなるんですよね。こだわりを持って取り組まれているのも素敵ですし、作業自体も圧巻で魅力的です。
稲架掛けは都会だとまず見ないですよね。
ずっと都会で暮らしてきたので、そもそも稲穂を見たこともなかったですし、お米は袋に入って売られているのが当たり前でした。だから稲穂や稲架掛けを見ると心が動くんですよね。地域の人たちからすると稲架掛けは毎年見る景色で、誰も気に留めていません。地元の人たちに「あれって芸術じゃないですか?」と伝えているんですが、そうなんだって意外とそっけなくて(笑)。そんな体験をしていると、お米がなんだかより美味しく感じますし、買うときにはどんな農家さんが作っているのか意識するようになりました。写真をきっかけに、世界が広がりましたね。
画像提供:武藤千春