4/30まで送料無料
2021.10.12

栄養循環が人間の生命を支えている。LFCコンポストが編み直す、自然と共にある暮らし

with who?

ローカルフードサイクリング株式会社 代表取締役

たいら由以子

福岡市生まれ。大学を卒業後、証券会社に勤務。「たのしい循環生活によるパブリックヘルスの実現」のため「半径2km圏内での栄養循環づくり」をミッションに1997年コンポスト活動開始。2004年、NPO法人循環生活研究所を設立し、国内外にコンポストを普及。生ごみ資源100研究会を主宰、循環生活研究所理事、コンポストトレーナー、NPO法人日本環境ボランティアネットワーク理事など務める。

人と自然。

いつの間にか人と対立するように語られる自然。
ですが、古来より日本に根づく仏教では「自然」を「じねん」とよび、人は自然の一部であると捉えてきました。その捉え方は日本に住む人たちにとっては、どこか懐かしい感覚を思い出させてくれるものかもしれません。

改めてより身近なものから、人と自然の関係を見つめ直してみる。そのことが、地球環境やサステナビリティについて考える一つの足がかりになるのではないか。そんな期待を抱いてお話を伺ったのが、親子3世代でコンポストの普及に取り組んでいるローカルフードサイクリング代表のたいら由以子さんです。

コンポストは微生物の力を活用して生ごみを堆肥にするもの。人と自然をつなげてくれる存在と捉えることもできます。たいらさんにはコンポストを通じてどんな世界が見えているのか。コンポストのある暮らしや、もたらしてくれる循環について語ってもらいました。

コンポストは自然の中に暮らしがあることを思い出させてくれる

たいらさんはどうしてコンポストに興味を持ったんですか?

きっかけは20年以上前、最愛の父がガン宣告を受けたことでした。養生のために無農薬野菜を中心に食べることにしたのですが、街中探したところ新鮮なものがまったく見つからなかったんです。安心安全な野菜が手に入りづらいことへの不安を感じるとともに、このままでは父が死んでしまうのではないかという焦りが募るばかりで。人の死が差し迫ったときの感情を経験して「食べものは命そのもの」であることと、当時の社会は持続不可能であることが身に染みてわかったんです。

では新鮮で安全な野菜が毎日食卓にあがるためにはどうしたらいいのか。まずは野菜を育てるための土が病んでいるので、土を健康にすることが大事。ただいろんな環境活動に参加してみたんですけど、週末や月に1回といった頻度での活動だとどうしても意識が薄れてしまい、日頃の行動への影響が小さくなってしまう。だったら、日々の暮らしと土の改善がつながる接点が突破口になるのではないかと考えたんです。

それがコンポスト活動の始まりだったんですね。

他の側面としては、社会を持続可能にしていくときに経済のペースでものごとを進めていくと、すぐに方針転換できない業種や業態がたくさんあります。だからそのペースに合わせてしまうと、気候変動など今起きている課題の解決が間に合わない。2021年に公表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の評価報告書には「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」とはっきり書かれており、気候変動が人為的であることや、どう楽観的に考えても5〜6年後には地球の限界が来てしまうことは決定的に思えました。

ではどうするのか。例えば、生ごみを捨てるときの選択肢は大きく3つあります。1つは既存の行政の仕組みで焼却処分する。日本人の約90%がこのパターンですね。2つ目は自治体の中でよりエコなごみ処理をしているところがある場合、そこに出すこと。3つ目は自分でコンポストをする。

国や行政の改革のスピード感を踏まえると、3つ目の自分でコンポストに取り組むことが一番解決へのスピードが速いと思いました。コンポストをやることで価値観もすごく変わるし、それによって行動の連鎖が起きていくことが期待できる。もちろん諦めずにアドボカシーもやりますし、企業にもアプローチします。でも今日からやれることを広めていかないと、気候変動に対してはもう間に合わないでしょう。


たいらさんが開発した『LFCコンポスト』。生ごみの分解を速め、悪臭の発生を抑える独自の配合基材や虫の侵入を防ぐ特注のファスナーなど、初めての方でも続けやすい工夫が随所にされている。

コンポストを使うとユーザーの価値観はどう変わるのでしょうか?

これまで20年以上いろんな人にコンポストを伝えてきて感じる変化は、まず生ごみはごみじゃなかったと気づくこと。多くの人は、「生ごみ」=「ビニール袋に入れて焼却するもの」と思い込んでしまっているんですよ。ごみじゃないと気づくことで、生ごみを堆肥化することで他の種類のごみを気にするようになり、結果として90%ほどの人が紙ごみを減らしたり、レジ袋を断るようになったりと、行動の連鎖が起こることがわかっています。

LFCコンポストはトートバッグ型で、バッグの中に自然の一部を切り取ったような仕組みになっていて。コンポストをやることで土に触れながら自然を感じられ、癒されたりストレスが吸収されるといった感覚になることもありますし、小学校で習ったような自然界は分解者がいることで成り立っていることがまじまじとわかることもあります。

コンポストが自然との接点になるので、いろんな虫が周りにいることに気づくことができ、続けているとコンポストの周りに生態系ができてきます。甲虫が飛んで来て虫を食べたり、クモが一匹棲みついていろんな虫を食べたり。日常では忘れがちな自分たちも自然の一部であることや、自然の中に暮らしがあることを思い出させてくれるんです。

コンポストをきっかけに、身の回りの世界の見方が変わるんですね。

環境問題へのアプローチをみていると、人間と環境を二項対立として別物で扱われることが多いのですが、本来は自然の中に人間がいて、人間が生活環境をつくっていることが自然に影響を与えているんですよね。おもしろいのは、コンポストをやっていると人間と環境の関係が逆転するというか、ごちゃごちゃになります。当たり前だと思っていたことに疑問を持つようになり、人と自然のあり方を考え直すきっかけになる。

目先のことで言えば、生ごみが減って部屋が臭くなくなるとか、生ごみがないからごみを捨てるタイミングが気にならないとか、ごみ袋代が浮くとかいろんな効果があります。他にもコンポストを始めると、ガーデニングを始める人も45%くらいいて。一つひとつは小さなことかもしれませんが、すごく愛おしいことがこのバッグの周りで起こり始めるんです。それって価値観がちょっとずつ変わっているってことだと思うんですよ。

持続可能な栄養循環が私たちの生命を支えている

人間と自然の関係をごちゃごちゃにするって、すごくいいなと感じました。たいらさんはいつから自然とのつながりを意識するようになったんですか?

私の母が堆肥づくりの名人だったので、小さい頃から土や堆肥をつくる光景はよく見ていました。でも私自身は堆肥づくりをやることはなく、母が活動している側で遊んでいるだけ。なのに月日が経って自分にも子どもが生まれたとき、気づいたら畑を借りて背中に子どもをおんぶして土を耕していたんですよね。自分にとっては新鮮で楽しかったんですけど、母に電話したら「カエルの子はカエルやね。結局同じことしとうやん」って言われて(笑)。無意識のうちに母の背中を見て育っていたのかなあと感じています。

父のガンがきっかけでコンポストに行き着いたわけですが、わからないことだらけだったので朝から晩まで母に付きまとってコンポストのことを徹底して学びました。たくさんの堆肥をつくって感じたのは、いい堆肥で野菜を育てればおいしい野菜ができること。人間がいいものを食べて健康になるのと同じで、野菜もどんな栄養をとるかで全然味が違うことに気がついたんです。なにより、父が新鮮でおいしい野菜を食べて元気になっていく姿を見れたことで、持続可能な栄養循環が私たちの生命を支えているんだと強く意識の中に刻み込まれたんですよね。

結局私たちが実現したいのは、健全な栄養の循環なんです。自分が食べているものも、残したものも、出したものもすべて栄養だと考えれば、資源を大切に取り扱うことにつながる。めぐりめぐって人にも地球環境にも、いい循環につながっていくと思っています。

栄養循環の持続性についてもう少し教えてください。

少し地球の歴史から振り返ってみてもいいですか? まず46億年前に地球ができたときは、まだマグマだけで火の玉状態だったじゃないですか。その後地表の温度が300℃くらいに下がっていろんな化学反応が起き、水蒸気が上昇して雨が降り海が誕生して。

そこからタンパク質の元ができて、酸素を出す微生物が生まれたことから多種多様な生物が誕生していって。その中の海藻が死んで有機物に戻ることによって、土ができ始めたんです。徐々に空気中に酸素もできていって、オゾン層が誕生して初めて生き物は陸に上がることができました。陸の生き物は生きている間は食べたものを外に排泄して土に還元しますし、死んだ後も自分自身が土に戻ってリンやカルシウムになっていく。この循環によって空気や土が整ってきたんですね。

人が誕生してからは、まず縄文時代は土地も広く人口も少なかったので、住んでいる地域に資源がなくなれば他の地域に移り住む暮らしをしていました。弥生時代になると稲作や農耕による定住化が進み、水の取り合いが起きたり家畜の糞の管理が始まったりしたんです。

循環型社会として有名な江戸時代では将軍が都市化を進めた結果、川などに流していた糞尿や生ごみが問題視されるようになって。初めて捨てることを禁止する条例が出て、トイレに流していた糞尿が流通するようになったんです。おもしろいのが、将軍、大名、町屋の人など身分によって糞尿の値段が全然違うこと。それは栄養の違いなんですよ。将軍の方がいいもの食べて、栄養が高いとされていました。その後は現代と同じで、水洗トイレができて循環できる栄養をみんな一気に手放すことになるんです。

もともと循環していたものを、私たちの暮らしが分断してしまっているんですね…。

今は科学的なものや便利なものに依存し始めていて、極度のインフラ依存ですよね。栄養が循環しなくなってしまい、あっという間に土が痩せ細っています。足元には土がありますが、アスファルトで覆われていることが多いですよね。すると土は呼吸ができないんです。農地も化学肥料ばかり使い続けていくと、土壌から二酸化炭素が放出されて砂漠化してしまう。

こうしたことのすべてが、私たちの暮らしそのものなんですよね。私たちを支えている暮らしの中にある自然が、もともとあった機能を失ってきています。毎日歯磨きをして水を汚し、顔を洗って水を汚し、料理をして水を汚し、ごみを出して汚す。自然を搾取し続けた挙句どんどん汚して、自然が持つ調整機能のコントロールが効かなくなってどうにもならなくなっているのが現代だし、先日のIPCCの評価報告結果ですよね。

それで江戸時代の糞尿のように、流通していく仕組みが必要だと。

今は都市部に生ごみが集まっているので、まずは循環する仕組みを都市部でつくりたいんですよね。生ごみを収集業者さんに回収してもらっていると、意識ってあんまり変わらない。食べものを買って食べて、出た生ごみはコンポストで混ぜて堆肥にするという一連のプロセスを経験することで、世の中の循環について疑問を持つようになる。それが健全な栄養循環のための、第一歩だと思います。

自分ごとで捉えることができる範囲で、地に足ついた暮らしを

生ごみのことなどを自分ごととして捉えるためには、どんなきっかけがあるといいと思いますか?

父を看病していたときに暮らしていた圏内が半径2kmほどで、そのエリア内での暮らしが楽しかったんですよね。どんな人がいて何をやっているのかとか、この土地には何があるとか、地域のことをよく知っていて。小学生や中学生のころの行動範囲も同じくらいだと思うんですが、そのころってすべてが自分ごとだったと思うんです。

同じように自分ごとの範囲で栄養が回って野菜ができていけば、すごくエコロジーなんじゃないかと。距離という枠組みをつくることで、向き合い方が変わってくる。学校の給食は地域でつくった方がいいんじゃないかとか、考え始めちゃうんですよね。「世界」という距離感では人ごと、「日本」でも人ごと、「九州」でもまだ人ごとなんですよ。でも半径2kmだと自分ごと化してくる。


距離という枠組みを意識すると、解像度が上がるんですよね。そのことが自分ごと化につながるんだと思います。都市部でも地に足ついた暮らしはできるんです。日本に住む多くの先祖はもともと農耕民族だったはず。きっと、誰しも土や野菜に触れたくなることってあると思うんですよ。その想いを、思い出してほしいですね。

NEXT記事:
ユーザーの9割が初心者。あらゆる人を循環の輪に誘うLFCコンポスト

INTERVIEW & TEXT BY TOMOHIRO NAKATATE
PHOTOGRAPHS BY LOCAL FOOD CYCLING

Share